母の死

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プライベートの話
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その日おやじは朝まで仕事だった

山梨の寮に帰ってきたら 母が危篤で今日1日持つかわからないと言うので

熊本に帰る事にした

新型コロナのせいで 山梨から成田空港までのバスは運休で 新宿経由しかなかった

あまり東京は通りたくなかったが 仕方がなかった

飛行機も 熊本発は朝10時しかないので 成田空港で1日時間を潰して帰る事にした

バスで18時30分に着いて

ご飯を食べたり 気を紛らわすために ビールを飲んだりしたが

全然頭が冴えて時間もたたず 椅子に座っていたら

妹から電話があり

「今亡くなったよ」 と

21時38分だった

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涙が止まらなかった

その後また 気を紛らわそうと音楽を聴いたが 楽しい音楽を選んで

明るくしようとしたが何を聴いても涙が止まらなかった

3年の闘病で入退院を繰り返しての死

最初は癌細胞を取り除く手術をした

癌になった時点で 4年前に亡くなった父を思い出した

父の時も同じ手術をしたが 癌ができている所が 膵臓の近くのでかい血管で

取り除く事は出来ず 助からなかった

嫌な予感が的中した

やっぱり 母も全部を取り除くことは難しいらしい

まあ 少し時間を先延ばしにするということだけだった

おやじも3年前に 熊本から山梨に単身赴任した

その時から 母も段々と調子が悪くなって来たと思う

単身赴任から1年後と2年後の正月と 3年後の容態が悪くなった昨年12月

新型コロナが日本を襲い始め 病院も面会が出来にくい時 少しだけ会えるというので

急遽帰って来て2回会った

それが肉眼で見て話した最後

その後の面会は棺桶だった

3年間 一緒に居てやれなかった事が悔やまれる

昨日 成田空港で泣くだけ泣いたから 棺桶に入ってる母を見た時泣けなくて

みんなの前では気丈に振る舞えた

今から色んな事を処理していかなければならないので 冷静になれて助かった

母の葬儀
わたしが世界中で、全ての人を敵に回しても、父母だけは私の味方でしたが、2人ともあの世に行って悲しくてこれからどうしようとか、人生っていったい何とか、たまらないけど、頑張る 負けるもんかと言う気持ち。

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