家族で、父も含めた最後のお正月
その後、父は亡くなった
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父の死
父の葬儀が終わった
よく 亡くなった直後は やる事が多過ぎて バタバタしているから
後から悲しみ 苦しみが襲ってくるというが
私は ずーっと 悲しみ苦しみが 亡くなった直後から襲ってきていた
何で死ぬ 何で何で 医者から 助からないとは聞いていたものの
頭では理解したつもりだったが いざ死んだら 衝撃だった
周りは 親離れしていないとか カッコつけたがるが こんな気持ちは初めて
1番の味方がいなくなった これ程 苦しい思いをするなんて
ほんと 思わなかった
血のつながりなのか?
こんなに辛かったのか
初めての心の痛み
最近 よく 異常気象とかで これまでに経験したことのない とか 言ってる
それ まさに それなぁ だった
無事に 葬儀も終わり その後 母があまりわからないので 色んな 手続きをしてあげて
あっという間に 普通の 日常に戻った
時は 待ってくれません どんどん経過して行きます
楽しい時間はすぐ過ぎて 退屈な時はあまりと言うが この時間はと
思いたくなる様なスピードです
職業訓練 溶接
ポリテクセンターで 溶接の勉強の始まりです
まあ これがまた 難しいこと
ただ 真っ直ぐ溶接するのが 何て 難しいのか❓
ミミズみたいになる お見苦しい これ誰 笑笑
何とか 頑張らないと 練習した
でも こんなんで大丈夫かなと何度も 思った
全くの素人から やらなければならず まあ 大変
この歳で 技術それを使って就職
今度は 就職の事を 考えなくてはなりません 大丈夫かな❓と
53歳で 会社に今から 入社 の為就活 複雑
へんてこりんな 気持ちですが 割り切らずに行かなければと
パソコンで 求人を探して 応募する
担当の先生から 推薦状を書いてもらって 面接まで漕ぎつける
応募しても あんなの全くダメと 皆んなが言う
あれは 形だけだと 期待せん方がいいと
でも おやじ 諦めず
応募していたら なんと ある会社から 面接したいと 漕ぎ着けました
もう超嬉しかった 気持ちは舞い上がりました
再出発出来ると
少し 家から遠い隣の市だが 通える範囲で 給与も そこそこだし 正社員と書いてあったので
益々 燃えた
溶接の技術も やっていくうちに うまくなってきた
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